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否定しない世界が意外と居心地良くなかったのはなぜ?

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否定しない世界が意外と居心地良くなかったのはなぜ?


多くの人が「自分のことを否定されたくない」という
潜在意識を持っているのではないでしょうか。

私には否定されたくないという想いが
多少なりともあるので、
「否定しない世界になったら楽しく過ごせるのかな?」
と考えていました。

けれども、否定しない世界は想像していたよりは
居心地が良くなかったです。

なぜ考えていたような世界になっても
あまり良いと感じられなかったのか、
今回はこの感覚について考えてみます。

否定しない意識が広がってきた

私の感覚ですが、世の中に『否定しない』という
意識が広がってきた印象があります。

例えばメディア。

私はテレビが好きで、
よくバラエティ番組を視聴するのですが、
以前と比較すると柔らかくなった気がします。

バラエティに限らず、報道もドラマも
どのジャンルも全体的に配慮している感じは受けますし、
むやみに否定しない番組作りを
心掛けているのだろうと感じます。

また、職場でも働く人に配慮した
職場が増えてきたという声を聞きました。

一方で全く職場環境が変わらない
という声も耳にするので一概には言えませんが、
以前と比較すると少しずつ意識は
変わってきているのかなと思います。

『ただ否定しなければいい』が当たり前になるとどうなる?

「否定しない世界になれば楽しく過ごせるのかな?」と
考えていましたが、
実際はそんなこともありませんでした。

否定しない世界は私が思っていたほど
ワクワクしたものではなかったです。

その理由は『ただ否定しなければいい』という
画一化された考え方も生まれてくるから。

例えば「とりあえず否定しなければいいんでしょ?」などと
考えることもできるのですね。

むやみやたらに否定しないことは
コミュニケーションを取る上で大事なことだと思いますが、
『とりあえず否定しなければいい』という
感覚が当たり前になってしまうことで、
考えることをしなくなるとも感じました。

否定しないことは本来、
相手のことを考えてする行為のはず。

にも関わらず、
『とりあえず否定しなければいい』という
考え方になってしまうことで、
そこに『相手のことを考える』という
重要な部分が忘れられてしまう。

これはせっかくの考える機会を奪う
非常にもったいないことのように思います。

とりあえず否定しなければいいということは、
何も考えていないのと同義かもしれない。

『考えることが好きな自分が考えることをやめてしまう』

この点が否定しない世界が思っていたほど
ワクワクしなかった理由だと結論付けました。

否定しないの本質は相手のことを考えること

否定しないことは円滑に物事を進めたり、
相手のモチベーションを高めたり、
人との関わり合いの中で大切なこと。

なので、ただ否定しなければいいという
固定観念が生まれてしまうと、
「相手のため」という本来の目的を
失ってしまうと考えられるでしょう。

大切なのはただ否定しなければいいではなく、
『なぜただ否定してはいけないのか』を考えること。

そして、自分なりの答えを
ちゃんと持つところにあるのかもしれません。

私の場合だと
「ただ否定することで相手のことを考えなくなり、
考えることが好きな私にとってはそこに面白さを感じないから」
というのが答えの一つと言えるでしょう。

…出来れば
「ただ否定することで相手を意味もなく
傷つけてしまうのが嫌だから」というような、
相手基準で物事を考えられる
優しい答えを出したかったものですね。

一応、相手のことを考えてはいるので良しとしましょう。

私自身、苦手な相手や嫌いな相手と話をする時は
『とりあえず否定しなければいいや』という
考え方をしてしまうこともあります。

けれども、否定しないの本質には
相手がいるということを、
否定しない価値観が当たり前になっても
忘れないように意識したいです。

価値観を持っている相手に対しても、
一度はちゃんと向き合って
考えられるようになりたいですね。


マナビエルライター&ファシリテーター
松田 裕司

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