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LGBTQで考えたこと

くらす

LGBTQで考えたこと

「ねぇ、LGBTの話が進んでいったら、
Heとか、Sheとかってどうなるのかしらね、
Itじゃおかしいしねぇ。」

素朴な疑問を日々ぶつけられる、
小学生の集まる塾で、先生に尋ねられました。

最近、LGBT(LGTBTQともいいます)を
小学校で習ったようで、時々子供たちが、
「Lってさぁ」、「やだぁ」など
こそこそ話しているのを耳にしていました。

私が英語を習った中学生の頃の教科書では、
「Mr.」「Mrs.」は「氏」「夫人」と日本語に訳し、
「Miss」は未婚の女性に使う、と習いました。
今は、女性には全般的に「Ms.」を付けます。

分けられていた女性の呼称が変わり、
それが定着したように、昨年10月から、
航空機の機内アナウンスの始まりが
「Ladies and Gentlemen」から
「Good Morning(などの挨拶). Everyone」に変わり、

同じく、今年の3月から、
東京ディズニーランドなどのアトラクションでは
「Ladies and Gentlemen, Boys and Girls」という
呼びかけが、「Hello Everyone」に変わりました。

実は、15年くらい前から徐々に、小学校では、
あだ名で呼ぶことを止めるよう児童に指導し、
苗字に「さん」をつけることが広まっているそうです。
最近になって報道されるようになりました。

 

「違う」という気持ちの受け止め方は?



「人からどう見られるか」、が気になるのは、
私が子供の頃からずっとあったコンプレックスでした。
デ〇、〇ビ、バ〇、ブ〇、ノ〇マ、など
蔑称をあだ名として呼ばれることは日常茶飯事。

スカートを穿かない女子、男子より背が高い女子
(小学生ではアルアルです)を
男子が「男女」と揶揄することもしょっちゅう。

成長過程の変化は、一時的なことがほとんどだけど、
その一瞬のひと時はとても大切で、
その時の記憶が人生の中に深く刻まれることもあります。

「あれっ?おかしいかな?違うな」って思うこと、
それ自体は、正直な気持ちを大切にしていいと思います。

「違う」っていうことは、ただ「違う」だけで、
「違う」まま、隣にいてもいいこと。

「一人ひとりが違うことは当たり前」、
「違い」を知ることで、「へぇそうなんだ」と
お互いを認めて、理解を深めることができればいいと思います。

違うことを否定するのではなく、違いを知ることで、
他にも「知りたい」と別の興味が湧いてくるかもしれません。
知ることは楽しい。知ろうとすることは、大切。

区別することは優劣をつけることではない

「He」「She」は、3人称で、
ちょっと距離のある立ち位置です。

大多数の認識で「He」「She」と呼び、
それは生来の性別で判断されない時が
来ているかもしれません。

その人が、「She」と呼ばれたいか、
「He」と呼ばれたいか、
そのことを自分が知っていて呼称をつかう。
そんな関係性が当たり前に成立しているって、素敵ですね。

公共の場所で、
男子トイレに入ろうとも女子トイレに入ろうとも、
どちらも個室になっていて、
お互いのプライバシーを保つことができ、
なおかつ、手を洗うタイミングで
コミュニケーションが取れたらどうでしょうか。

いえいえ、男女の表示がなくなれば、
スタジアムや劇場、高速道路のパーキングやサービスエリアで、
トイレに長蛇の列ができなくなるのではないでしょうか。

区別することは優劣をつけることではありません。
区別されているのに、そこに入りきれないからハンデがある、
と諦めることでもありません。

「見た目も大切」、「中身も大切」、ということに気づき、
「違い」や「同じところ」を知り、受け入れて、お互いを大切にする。

簡単なことだけれども、とても難しいことだなぁ、
と今まで生きてきた月日を振り返って思います。

マナビエル出張授業ファシリテーター担当
藤本昌子

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