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『メンタルが強い人』と認識される不思議

あらわす

『メンタルが強い人』と認識される不思議

私は時々こんな事を言われます。

「メンタル強いよね」

自分ではメンタルが強いなんて思ったことはありませんが、
どうやら私は周りに『メンタルが強い人』と認識されているようです。

自分が思う自分と他人が思う自分の印象が違う事は珍しくはないですが、
それでも『なぜ私はメンタルが強い人と認識されるのか?』は不思議な感覚。

「どうしてそう思うの?」と聞けば答えは分かるけれど、
応用が効かなくて、言われる度に気になってしまう。

せっかくコラムを書いているので、今回は『メンタル』について考えてみました。

私のメンタルは強くない

私は人前で話すのは苦手だし、試験の前は一丁前に緊張。

もっと言えば、このコラムを書くときはいつも

「自分の考えが伝わるかな?」
「無意識に誰かを傷つけてないかな?」

などいろいろ考えています。

不安な感情を抱くことはよくあるので、
どう考えても私は自分の事をメンタルが強い人だとは思えません。

けれども、周りの人からは『メンタルが強い人』と思われている。

では、なぜ自分と周りとでギャップが生まれるのか?

それを考えるために、まずは『私が思うメンタルが強い人』を整理してみます。

私が思うメンタルが強い人とは?

『私が思うメンタルが強い人』の答えは一つではありませんでした。

メンタルの強さは多種多様だと思ったから。

例えば

・失敗してもめげない打たれ強さを持っている人
・ストイックに自分を追い込める人
・相手を尊重して自分と相手を比較しない人
・コミュニケーション能力が高く誰とでも話せる人

など。

いろんなタイプが挙げられるし、どれもメンタルの強い人の特徴だと思います。

そして、私は上記のどれにも当てはまりません。

失敗したらへこむし、気分が乗らない時はサボるし、
嫌だなと感じた人のことは悪く思うし、余計なコミュニケーションは取りたくない。

…あまり公言する内容ではなさそうですね。笑

いずれにせよ、自分が思い描いているメンタルが強い人から、
私はかけ離れた存在です。

それでも、私は周りからメンタルが強い人と思われているのなら、
自分では気づいていない『何か』を周りの人は感じているということ。

その『何か』が分からなくてずっと考えていたのですが、
「こうやって“考えられること”が私が持つメンタルの強さなのかな?」と、
今は感じてます。

メンタルは『感情』ではなく『心』

私はメンタルを『感情的で抗えないもの』だと認識してました。

だから、自分の感情を騙せない私は『メンタルが強くない』と思っていた。

けれども、そんな私のことをメンタルが強いと周りが言うのなら、
そこには『感情』以外の『何か』があるということ。

その『何か』が“考えられること”ではないか、と。

「感情を考える」

メンタルは『感情』ではなく『心』の話かもしれません。

『感情』は自分が受け取った情報の結果で、
『心』はその感情を“思考でコントロールする”ための器。

器(心)の中には感情以外にもたくさんのモノが入っています。

家庭や職場などの環境、今までの人生で得た経験、学校などで学んだ知識…など、
形も大きさも誰とも同じでない自分だけのもの。

その器の中にある感情以外のモノを使って“考えていた”ことで、
私のメンタルは強く見えていたように感じます。

先ほど「失敗したらへこむ」と書きましたが、
私はこの感情には嘘はつけません。

けれども「失敗したらへこむ」だけで、そこから

「時間を置いてからまたチャレンジしよう」
「出来そうもないから別のものに切り替えよう」

などと考えて、次の行動を起こします。

「メンタル強いよね」と言われるのは、私の『感情』に対しての評価ではなく、
『感情を考えていたこと』に対する評価だったのでしょう。

私は『感情』という『心の一部』だけでメンタルを認識していた。

けれども、周りの人は『心全体』に目を向けて私のメンタルの評価をしていた。

これが、自分と周りとで生まれた『ギャップの正体』だと感じています。

疑問だった不思議な感覚が整理できて、気分はスッキリしました。

ただ、メンタルに関しては以前から気になっていたことがあるので、
もう少し書きますね^^

メンタルが『強い』『弱い』以外の表現方法を探してみる

メンタルの表現ってどうして『強い』と『弱い』が一般的なのでしょうか?

『強い』『弱い』しか表現がないと『強い』のが良くて『弱い』のが悪い感じがするし、
メンタルは正解・不正解がはっきりしてると、不正解の時の不安が大きすぎる。

心は感情に左右されることもあるから、
誰にでも強い時もあれば弱い時もあるのが当たり前。

それに心の中には感情以外の要素もある。

だから「もっと自由に表現していいんじゃないの?」と思ってしまいます。

例えば、私の場合は
『自分のメンタルは低いところに位置しているのが理想的』という感覚があり、
言い換えて『メンタルが低い』という表現がしっくりきています。

良くも悪くも感情に左右されることは少なく、
基本的に最初は物事をネガティブに捉えている。

そして、交友関係は狭く、経験値が低く、知識も乏しいから器(容量)が小さい。

もし自分のメンタルを数学の座標で示すなら、X軸(感情)もY軸(器)も原点より値が小さい
『第3象限(左下)の領域』に位置しているようなイメージ。

上下で言えば下、つまり『低い位置にあるのが私の基本メンタル』です。

ただ、ネガティブで器が小さいから卑屈になる訳ではありません。

「ネガティブ要素を減らして、知識や経験を増やして、、、」と、
X軸(感情)もY軸(器)もプラスにしていけば『第1象限(右上)の領域』が目指せるから、
右肩上がりに成長していける。

低い位置にあるのを認識する事で、物事や目標を現実的に捉えることができるし、
いつでもプラスのイメージを抱けるようなメンタル状態が保てます。

つまり、私にとっては『メンタルが低い状態が基本』で、かつ『理想的な状態』なのですね。

私のこの感覚はうまく伝わっていないかもしれませんが、
メンタルの表現方法は『強い』『弱い』以外にもあっていいはず。

確かに、『良い』『悪い』のように答えが提示されていれば楽だし、
一般的に言われている『強いメンタル』を目指せば不安は消えるかもしれない。

けれども、自分の感覚に合う言葉や表現を見つけても不安は消える。

「自分のメンタルってどうあるのが理想だろう?」を考えてみれば、
自分らしいメンタルの表現方法が見つかって、
『強い』『弱い』には囚われなくなるかもしれませんね^^

マナビエルライター&ファシリテーター
松田 裕司

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