小学生の作文は個性で溢れている
小学生が書いた作文を読む機会がありました。
テーマに沿って書くこともあり、似たような文章もありましたが、
誰一人として同じだとは感じませんでした。
凄く個性に溢れ、読んでいて非常に楽しかったのですが、
なぜ小学生の作文は個性に溢れていると感じたのか?
この疑問について今回は考えてみました。
テーマが決まっていると似た内容になってくる
テーマがある作文は似たような内容になってくることが多いです。
小学生の作文を読むと、テーマにもよりますが
「ありがとう」や「夢」などの言葉はよく目にしますね。
もちろんそれが悪いわけではありません。
ただ、一人ひとり気持ちや考え方は違うはずなのに、
同じ言葉や似た内容になってしまう生徒が多いことに違和感は感じました。
けれども、作文をよく読んでみると同じ言葉や似た内容になっていても
子ども達の個性に気づくことは出来ます。
小学生の作文に個性を感じる理由
小学生の書く作文を読むのは似たような内容でもとても面白い。
なぜなら、作文用紙から個性を感じることが出来るから。
『字は人を表す』ではないですが、
同じ内容でも丁寧な字の子は「真面目な子なのかな?」とか、
何度も書き直した後がある子は「親に注意されたのかな?」とか。
作文用紙を通じてその子の性格や生活環境、
人間関係などがイメージ出来て、
個性を感じることが出来ます。
そこに気づけた時「一人ひとり違うし、だから面白いんだ」と感じ、
小学生の作文は読んでいてどれも面白いなーと思いました。
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特に面白い作文は「深さ」や「視点」が違う
中には「これは面白い作文だなー」と感じるものもあります。
そこには2つの特性がありました。
1つは『深く考えている』作文。もう1つは『視点をずらしている』作文。
このどちらか、あるいは両方を満たしている作文は読んでいて感心しました。
『深く考えている』作文は具体的で、読むと情景が浮かんできます。
情景が浮かぶので感情もよく伝わってきて、そこから個性を感じられました。
『視点をずらしている』作文は何気ないものに疑問を持っています。
その発想自体が個性的で、読んでいて面白いと感じました。
作文用紙の使い方や文字そのものからも個性を感じることは出来ますが、
表面上でわかる個性よりも内面から伝わる個性の方が感情は動かされる。
そんな事を子ども達の作文から学びましたね。
作文の正解は「自分」しかわからない
学校の勉強は答えのある問題の解き方や正解を教えてくれます。
それはみんなが共通認識できるものとして大事なこと。
けれども、その中で作文は自分の気持ちを整理して
表現することが唯一の正解だと私は思います。
そこには他人が教えてくれる正解はありません。
「こんな風に書いたら先生は褒めてくれるかな?」
「誰にも邪魔されないで自由に書けるなんて楽しい!」
「作文でなら親や友達に感謝を伝えてみようかな…」
いろんな想いが小学生の書く作文からは読み取れます。
先生や親、自分の成績の為に作文を書いたとしても、
そこに子どもの本音が隠れているのなら、それは間違いではないかもしれない。
けれども、せっかく作文を書くのなら、
作文が子ども達の内面を素直に表現するものであって欲しいですね。
小学生の書く作文は良くも悪くも私の感情を動かしてくれました。
そして、どんな文章であっても愛おしさや個性を感じられ、
改めて「作文って面白いなー」と思えた気がします^^
マナビエルライター&ファシリテーター
松田 裕司